大阪狭山市での葬儀・家族葬を行うと、大阪狭山市から葬儀の給付金を受け取れる制度があります。
この制度自体についてご存じない方もおりましたので、こちらのページで大阪狭山市の葬祭費について少しだけご紹介させて頂きます。
大阪狭山市のホームページでも「葬祭費の支給」についての情報が公開されております。
サイトで確認出来る事は以下の通りです。
・申請に必要なもの
・お問い合わせ先
申請方法や支給額等の詳しい事は、大阪狭山市に直接お問合せいただければと思います、
大阪狭山市のサイトのリンクを以下に設置しましたので、宜しかったらご覧頂ければと思います。
大阪狭山市の葬祭費について(大阪狭山市サイト)
友人・同僚の葬儀
葬儀の席上で、故人の死を悼み、最後の別れを告げる言葉が弔辞です。
その準備や構成、捧げ方については、一章の弔辞の項で説明していますので、もう一度目を通してみてください。
ここでは、故人との関係別に、さらに詳しく弔辞の実際について説明していきましょう。
友人や同僚の葬儀で弔辞を述べる場合に注意することは、まず節度をもって述べることです。
生前は「俺」「お前」で呼び合っていたような間柄であっても、弔辞では「君」「あなた」あるいは「○○君」程度にとどめるのが無難でしょう。
もちろん「お前」と呼ぶことで、哀悼の気持ちをより切実に表現できるのであればかまいませんが、ご遺族が聞いて不快を感じるようでは困ります。
故人が後輩や部下、教え子などの場合についても同様です。
また、故人との思い出を語る場合には、よいところや功績を引き出すようにして、たとえ親しさの表現であっても失敗談などは避けます。
美辞麗句を連ねるのではなく、使い慣れた言葉で、率直に心をこめて語りかけましょう。
(故人)幼なじみ・七十歳・病死
謹んで小沼秀夫君の霊にお別れのごあいさつをいたします。
小沼君。いや、最後ですからこんなに他人行儀な呼び方ではなく、いつもそう呼んでいたように「秀さん」と呼ばせていただきましょう。
秀さん。何から話していいかわからないくらい、話したいことがあるような気もするし、また、もう散々話し合ってきたから、今は黙ってここに立っているだけでいいような気もしている。
でも、まずは君に心からお礼を言わせてもらおう。長いこと――改めて数えてみたら小学校以来六十三年間だ――本当に長いこといい友達でいてくれて、ありがとう。
幼い頃の思い出は、めんこにビー玉、木登り、相撲、川での水遊び、魚釣り。学校が引けると、暗くなってお互いの顔が見えなくなるまで、仲間とともによく遊び回った。
中学を出ると秀さんも私も工場へ勤め、ともに汗を流して働いた。
仕事の後で一杯飲んで、いい気持ちで肩を組んで帰るのが楽しみだった。
そのうちかわいい嫁さんをもらって、三人の子どもにも恵まれ、秀さんはますます働いた。
秀さん。君が病に倒れ入院してから、私は暇な隠居の身ゆえに、ほとんど毎日のように顔を見にいった。
亡くなる二週間ほど前、秀さんは思いついたように「飲みに行こう」と言った。
そのとき、私は秀さんが死期を悟っているのを感じた。だから、ご家族に話し、病院にも一生懸命かけ合った。
しかし、許しが出なかった。私はこんなに情けなかったことはない。
酔ったときのように肩を貸して、勝手に連れ出そうかとさえ思った。秀さん、あのときどうしてあんなにあっさりと諦めてしまったのか。
「やっぱり、やめとこう」と、静かに言ってその気を捨てた。その潔さが私には何より悲しかった。「もう、散々飲んだものな」と、秀さんは笑った。
秀さん。いつでも精一杯力を尽くすのが君のやり方だ。心残りはないだろう。三人の子どもさんはすでに立派な社会人として活躍している。
残された奥さんを助けてしっかりと生きていくだろう。
どうか安心して、私が行くまで、天国でうまい酒でも飲んでいてくれたまえ。それではしばしのお別れだ。さようなら、秀さん。安らかに……。
*ポイント
生前をしのんで故人をあだ名で呼ぶのもよいでしょう。ただし、「猿」とか「ハゲ」など、あまりに遠慮のない呼び方は避けるべきです。