大阪市大正区での葬儀・家族葬を行ったさいに、市から葬儀の給付金を受け取れる制度がある事はご存知でしょうか?
大阪市のホームページでも情報が公開されておりますが、
葬祭を行った方に対して、5万円の葬祭費を支給しておりますが、この葬祭費を受け取るには、大阪市国民健康保険に加入している方が亡くなられて葬祭を行った場合に受け取ることができるというものです。
大阪市のサイトで確認出来る事は、
・支給方法
・申請できる方
・申請に必要なもの
・ご注意
葬祭費の支給について(大阪市サイト)
宜しければ一度ご確認頂ければと思います。
当社でも詳しくご案内可能ですので、お気軽にお電話かお問合せください。
通夜での謝辞(喪主のあいさつ)2についてのご紹介です。
本日はご多用中にもかかわらず、父の通夜にご弔問いただきまして、ありがとうございました。心よりお礼申し上げます。
父は二か月ほど前から市民病院に入院いたしまして、肝臓病の治療を受けておりましたが、昨日の朝早く息を引き取りました。享年七十三歳。眠るような静かな最後でした。入院中にはたくさんの方々にお見舞いをいただき、またご親身な励ましをいただきまして、ありがとうございました。父もとても感謝しておりました。
勤めておりましたころの父は、かなりの仕事人間で、毎日のように遅くまで残業をし、休日にも出かけていくことがしばしばでした。私は、子どものころにゆっくりと父に遊んでもらった記憶がほとんどありません。父は常に忙しい人でした。
けれど、定年を迎えると非常勤の誘いもきっぱりと断って、一転して自分の人生を楽しむようになりました。「六十の手習いだ」などと照れながら水彩画を習い始め、気が向くとスケッチブックと絵の具を持って写生に出かけていました。天気のよい穏やかな日には、写生道具を広げたまま長々と昼寝をしてしまったと、頭をかきかき帰ってくることもありました。勤めていたころの父を知る方には、ご想像できない姿だと思います。母を伴ってよく旅行へも出かけましたし、第二の人生を大いに楽しんだ晩年でした。
入院してからの父は、かなり病状が悪化しても落ち着いていました。「思う通りに精一杯生きて、思い残すことは何もない」と言い、そして静かにこの世を去りました。
七十三歳はまだ死ぬには早い歳ですが、父の最後にはきれいに燃え尽きたという感がありました。大変寂しいことではありますが、その最後の様子は、残されました私どもにとっては救いでございます。
なお、ささやかではありますが、別室に食事の席を用意してございます。どうぞ、お召し上がりになりながら、亡き父の思い出話など、お聞かせ願えますと幸いです。
本日は本当にありがとうございました。
*ポイント
故人の死についての報告をしています。さらに故人の生き方や、死に至る経過についてふれるのも結構です。ただし、あまり長くならないように配慮しましょう。
一言ごあいさつ申し上げます。私は故人の長女、弘子でございます。皆さまにはご多用中にもかかわらず、母貴美子のためにお集まりいただきまして、ありがとうございました。
今年二月に父正幸が他界いたしました。その折りにも、皆さまから温かい励ましをいただきまして、母も大変感謝しておりました。
その母を今日は見送らなければなりません。母は昨夜、突然くも膜下出血で倒れ、すぐに入院いたしましたが、数時間後に息を引き取りました。何ともあわだたしい、あっけない最後でした。父の喪も明けぬうちに、母まで失ってしまいましたのは、私どもにとりましてこのうえなく大きな悲しみです。母は長く患いました父を、心を砕いて看護し続けてまいりました。これからはのんびりと旅行や芝居に行ったり、人生を楽しんでもらいたいと考えておりましたのに、本当に心残りです。
父を看病していますころに、母はこんなことを言ったことがあります。「私がお父さんの面倒をみているようだけど、でも気がつくと、お父さんが私を支えてくれているのよ」と。患っていてもなお、父を心の支えとし、頼りに思っていたようです。まるで父を追いかけるように逝ってしまった母は、今頃あの世で父と再会しているのでしょうか。
生前親しくしてくださいました皆さま、いろいろと助けてくださいました皆さま、本当にありがとうございました。ゆっくりとお礼を言うことができなかった母に代わりまして、厚くお礼申し上げます。
あちらに簡単ですが、お食事を用意いたしました。亡き母をしのびながら、召し上がっていただけますと幸いです。